町奉行として、江戸の町を住みよくしようと心掛けた大岡越前守のお話。
彼の実績でもないものが、彼の手柄となっているという話が印象に残っています。後でライバルが手掛けたものでさえ、自分の手柄になって伝わってしまう世の中の面白さ。
その逆もまた然り。評価を求めることを第一にしない方がいいですね。
■アリの一穴から
出来ることから手掛けると、そこがきっかけとなり、呼び水となる。やがて広がっていく。
目の前の一歩から実現させていく。一つのモデルと作るということですね。
■相手を尊重する
説得したい相手を尊重する。そのためには、常に意見などを伺い相談したりする。すると相手の考えもわかってくる。
手っ取り早い方法を取らず、結果よりも過程を大事にする。それが尊重するということ。
2014年11月24日月曜日
2014年11月23日日曜日
こころの時代~宗教・人生~「第二の誕生」 - NHK
沖縄の小児科医の方のお話。まなざし仏教塾というものをやられておられます。
■まなざし仏教塾
番組で語っておられたことは、琉球新報で連載されておられたコラムに書かれています。
簡潔に私なりにまとめると、自分の世界で苦しんでいたが、それは大きな勘違いで生かされていることに気が付いて救われた。
書いてしまえば簡単ですが、そこに至るまでは簡単ではありません。
頭でわかっても心がわからない。
真摯に人生と向き合ってこられた方の雰囲気を感じました。
■まなざし仏教塾
番組で語っておられたことは、琉球新報で連載されておられたコラムに書かれています。
簡潔に私なりにまとめると、自分の世界で苦しんでいたが、それは大きな勘違いで生かされていることに気が付いて救われた。
書いてしまえば簡単ですが、そこに至るまでは簡単ではありません。
頭でわかっても心がわからない。
真摯に人生と向き合ってこられた方の雰囲気を感じました。
2014年11月4日火曜日
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)▽人脈力~西行 派閥を超えたネットワーク - NHK
北面の武士というエリート出身だった西行。
和歌の達人としてのイメージしかなかったけど、そのエリート武士出身者ということが、のちに源頼朝との対面に役立つとは、人生よくできていますね。
弱者に寄り添うことで、僧としての信頼を得たとありました。しかし、元々使えていたことの方が大きいのではないでしょうか。
ビジネス向けに人脈力などとしていますが、和歌というものを洗練させて影響を与えたわけですから専門力で扱ってもいいのではないでしょうか。
和歌としての名声がなければ、すべて繋がらないのではないかと感じます。
和歌という武器があってこその繋がりではないでしょうか。
和歌の達人としてのイメージしかなかったけど、そのエリート武士出身者ということが、のちに源頼朝との対面に役立つとは、人生よくできていますね。
弱者に寄り添うことで、僧としての信頼を得たとありました。しかし、元々使えていたことの方が大きいのではないでしょうか。
ビジネス向けに人脈力などとしていますが、和歌というものを洗練させて影響を与えたわけですから専門力で扱ってもいいのではないでしょうか。
和歌としての名声がなければ、すべて繋がらないのではないかと感じます。
和歌という武器があってこその繋がりではないでしょうか。
2014年11月2日日曜日
こころの時代~宗教・人生~ アンコール「末法の世を生きる」 - NHK
こころの時代~宗教・人生~ アンコール「末法の世を生きる」 - NHK
「自はおのずからという
行者のはからいにあらず」
「然(ねん)というは
しからしむということば」
しぜんと呼ばずにじねんと呼んだ親鸞。
他力の力を今こそ現代人は認識すべきではないでしょうか。
お任せに生きる。天の節理は人を導いてくれると感じます。
「弥陀仏は自然のようを
しらせんりょうなり」
「自はおのずからという
行者のはからいにあらず」
「然(ねん)というは
しからしむということば」
しぜんと呼ばずにじねんと呼んだ親鸞。
他力の力を今こそ現代人は認識すべきではないでしょうか。
お任せに生きる。天の節理は人を導いてくれると感じます。
「弥陀仏は自然のようを
しらせんりょうなり」
無上(この上なく優れた)仏というのは、姿形がおありではありません。姿形がおありではないから、“自然(じねん)”というのです。 姿形がおありである場合は、無上涅槃(この上ない完全な覚り)とはいいません。姿形もない、凡夫の思慮分別を超越したさまを知らせようとして、初めて阿弥陀仏と申し上げるのだ…と、聞きならっております。 阿弥陀仏というのは、“自然”のありようを知らせるための“手立て(方便)”なのです。 この道理を納得できたならば、 この、“自然”のことについてあれこれと論議して詮索すべきではないのです…。
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