「自はおのずからという
行者のはからいにあらず」
「然(ねん)というは
しからしむということば」
しぜんと呼ばずにじねんと呼んだ親鸞。
他力の力を今こそ現代人は認識すべきではないでしょうか。
お任せに生きる。天の節理は人を導いてくれると感じます。
「弥陀仏は自然のようを
しらせんりょうなり」
無上(この上なく優れた)仏というのは、姿形がおありではありません。姿形がおありではないから、“自然(じねん)”というのです。 姿形がおありである場合は、無上涅槃(この上ない完全な覚り)とはいいません。姿形もない、凡夫の思慮分別を超越したさまを知らせようとして、初めて阿弥陀仏と申し上げるのだ…と、聞きならっております。 阿弥陀仏というのは、“自然”のありようを知らせるための“手立て(方便)”なのです。 この道理を納得できたならば、 この、“自然”のことについてあれこれと論議して詮索すべきではないのです…。
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