そんな人々がいることすら陰謀論として一蹴してしまうに違いない。いるか、いないかは問題ではない。もしそうだとしたらと想像しておくことで損をすることはない。
天災の他にも、時代の流れで産業構造の大変化、人口構造の大変化によって、社会は大変化していく。そうした大きな流れに逆らうのは大変なエネルギーを要する。かといって、諦めているのは何か違うのではないかと感じるだろう。
抵抗するのも、諦めるのも、ある意味同じだ。気持ちの方向がどちらかにいっているだけだ。大変化の時には、創造と破壊がセットである。
無理に抵抗して、現状復帰を目指すのではなく、これを好機に、新たな展開を模索する。そんな例が以前、ガイアの夜明けで放映されていた。
被災地域で行われていた、イチゴの露地栽培が全滅状態になり破壊された。そこに、新たな高所栽培をする人間が現れ、ブランド化したイチゴの販売を創造していた。
津波という大きな流れによって破壊されたことで、また新たな芽が生まれた。いつの時代も機会はある。諦めるでもなく、抵抗するでもない、大きな流れを利用する生き方が必要とされている時代だと感じる。
世界で最先端で、人口減が始まる日本。人が減るからこそ、知恵と工夫が生まれるのだ。かえって、劇変のほうが変化を加速することもある。その時は勿論大変なのだけれども、ゆるやかな変化のほうが対応が難しい。
変革も中途半端になりやすいし、現状維持に流れるのが人の性だからである。
東北はいつも犠牲の地、鬼門として汚れ役を買っている地だと、歴史を見るとつくづく感じる。
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