2014年5月11日日曜日

こころの時代 筑豊に「隣人」ありて

オープニングの曲に心が惹かれ、期待せず何んともなしに見始めたところ、見入ってしまった。人としてあるべき姿を教えられた。とかく、私はビジネス的な話題にばかり目が行ってしまうのだが、ビジネスの場でも、「善きサマリア人」であるかどうか問われていると感じた。

仕事の相談でも、話してみてそこから考えればいいと楽観していたが、それは準備もせずただ怠けているだけなのだと自覚した。本当に価値あることを伝えられないのであれば、断る勇気も時には必要なのだ。ただ、話せばいいのではない。

自分自身、人と会う時に、どれだけ真剣に相手のことを想えているのか?を問うていく。ついつい、時間の許す限り、何事もご縁だと受け入れてしまうが、すると必然的に出会いに対して鈍感になっていく。目の前の人間をどこまで想えるのか?エネルギーのいることだ。簡単ではない。

全部が全部気合入れていても重くなりすぎてしまうので、メリハリが大事だろう。


ちなみに元ネタはこのような話であった。記憶で書いているので若干違うかもしれないがご容赦願いたい。

尊敬する伝道師がいた犬養さん。犬養さんの友人は、犬養さんがいつもその尊敬する伝道師さんの話をされるので私たちも会いたいという。友人たちは行儀が悪かったので、煙草もやめて正座の練習もするならば、連れて行ってもいいよと約束し、友人たちもその約束を守って、会えることを楽しみにしていた。

準備が整ったと判断して友人を連れていくことを伝道師さんに連絡し、一緒に行けることを楽しみにしていた。すると、当日近くなって伝道師さんより連絡があり、友人たちには申し訳ないが断ってくれという。なぜだろうと伝道師さんのところに駆けつけて訳を聞いた。すると、伝道師さんは、当日説教予定であったレビ記は難解で伝えるのがとても難しくて、どうにか友人たちにも理解できるように工夫したり準備したりしたが、とても伝えられる自信がないので、申し訳ないがあなたから話をしてくれということであった。それを聞いて、犬養さんは、ただ話をすればいいという方が多い中、友人たちのためにこれほどまでに想ってくれたことに感動し、その旨を友人たちにも伝えるととても喜んでくれたという。
至誠の想いは、必ず通じるのだと私も信じています。

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