2014年5月14日水曜日

こころの時代 筑豊に「隣人」ありて2

伝道師、犬養光博氏の気づきを自分用のメモとして残しておきたいと思います。

■ 自分の枠組みで相手を見ていた。話を聞いていた。

 これは、彼が出していた会報が犬養氏の出身地である大阪弁であったことを指摘されたときに、気がついたとおっしゃっていました。福岡の筑豊弁で話している人々なのに、紙面では大阪弁になっていると。指摘されるまでそのことに気がつかなかったといいます。

これでは、自分の中から相手を見ているようなのもので、相手をそのまま受け取れるわけがないと衝撃を受けたようです。

私たちも知らず知らずのうちに、自分がつくった枠組みが正しいと思い込んでいます。自戒を込めて。

■カネミ公害闘争での気づき
公害闘争問題は社会問題だとして、多くの教会は関わることを避けていた。教会の仕事は社会問題ではなく、魂の救済だとして、断る教会も多く、犬養氏も当初は同じような理由で断ったと。すると、その公害闘争を一緒にしてやってほしいと頼んできた方は、
「公害問題は、社会問題ではなく人間の問題です」とおっしゃられたと。善きサマリア人が自ら寄ってきてくれたのに、良き隣人ではない自分に気が付き、自分から一緒にやらせてほしいと再度話して参加することになったとのことです。
そして、その闘争は悔い改め闘争であったと。カネミ公害闘争を始めた方は、自らが始めた当初は、公害前の元の体に戻してほしいと願っていたが、やがてそうではないことに気がついて、実は自らの悔い改めのための運動であったと気がついたと。

自分はそれまで、カネミ公害より先行していた、 水俣病の苦しみがわかってなかった。無関心であった。そのような自分が、公害前の元の体に戻るのは無関心の自分に戻るだけで、それでは良き隣人ではないということに気がついた。だからこそ、悔い改めのための闘争だと語ったそうです。
■在日問題は強盗にあったようなもの

善きサマリア人は、なぜ半死半生で倒れていたのか。モノを奪い、命も脅かすほど痛めつけた人がいたから、そこである人は倒れていた。日本が韓国の方を強制連行してやったことは、良き隣人でも、助けなかった祭司たちでもなく、強盗して痛めつけたことを同じであると。

在日の犠牲者の方々が眠る場所で、犬養氏は散骨してほしいと願っている。

彼の人生は、善きサマリア人という生き方がテーマである。

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