薬で脳が覚醒するという話は、リミットレスという映画でもあった。
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2012-03-07)
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今回のルーシーは覚醒の範囲がより拡大しSF度合いが深い。いわば神になるようなものだ。こうした映画が出てくる背景には何があるかと考えてみた。
人が変身願望や、完全なるものへの憧れ、神との合一を願うのは古来より持っている傾向だ。金も時間も権力も権威もあったとしたら、何を人は望むか?
人を超えることを、人を進化させることを望むのだろう。完全なる世界の把握。少なくとも、脳はまだまだ未知なる可能性を秘めている。その秘密の一端を薬で開こうという発想は合理的だ。LSDやアヤワスカといった幻覚剤によって、世界との一体感や神秘的な体験を経たものは、それを一時的にではなく恒常的に体験できることを望むのだろう。
現実はフィクションより先に行っている。こうした研究をしていないわけがない。少なくとも、ドーピングや肉体の力を引き出すのだから、精神の力も薬で引き出せると思う方が自然だ。
オウムは世界が驚くサリンを作り出せた。破壊の方向にその熱意を向ける団体ではなく、人の進化を目指して研究する組織があってもおかしくない。少なくてもアメリカのような国家は研究するに違いない。
しかし、合理的では神秘の領域には辿り着けない。非合理の世界に進化の秘密は隠されているように見える。
人は確かに文明を作ってきた。しかし、その人間的本性はいまだに戦争をしているように、まったく進化はしていない。道具が高度になっただけで、人の本性は何も変わっていない。科学技術の発展とのアンバランス、大いなる矛盾は人間社会に満ちている。
ハリウッドは世界中から資金や人材が集まる場で、そこから啓蒙的な映画も出れば、とてつもなく下品な映画も出てくる。アメリカは世界中から人材も集まり、そのエリートたちで運営されているはずの政府機関も愚かしいまでの戦争を繰り返す。
オウム真理教も、サリンという普通には作れない物質を作り出せるにも関わらず、傘でさして拡散させようとする原始的な手法を取る可笑しさ。頓珍漢なのが人類の特徴ではないかとすら感じさせる。
ルーシーの映画に出てくるのも、知識人とその反対である野蛮人の集団の暴力団。そして、暴力団の薬のおかげで、ルーシーは覚醒する。その薬はどこから来たのか、それは一切明らかにされない。
その薬を作れるだけの設備と人材を持った組織が、暴力団を使って実験しようとしているのかと夢想してしまう。
いずれにしても、すでに多くの体験を経て、すべての欲求を満たした人が最終的に興味を持つものは、神との合一、もしくは自らが神となることではないかと、映画を見ていて感じたのである。
そして、その実験は恐らくどこかですでにされているのだろう。
今回のルーシーは覚醒の範囲がより拡大しSF度合いが深い。いわば神になるようなものだ。こうした映画が出てくる背景には何があるかと考えてみた。
人が変身願望や、完全なるものへの憧れ、神との合一を願うのは古来より持っている傾向だ。金も時間も権力も権威もあったとしたら、何を人は望むか?
人を超えることを、人を進化させることを望むのだろう。完全なる世界の把握。少なくとも、脳はまだまだ未知なる可能性を秘めている。その秘密の一端を薬で開こうという発想は合理的だ。LSDやアヤワスカといった幻覚剤によって、世界との一体感や神秘的な体験を経たものは、それを一時的にではなく恒常的に体験できることを望むのだろう。
現実はフィクションより先に行っている。こうした研究をしていないわけがない。少なくとも、ドーピングや肉体の力を引き出すのだから、精神の力も薬で引き出せると思う方が自然だ。
オウムは世界が驚くサリンを作り出せた。破壊の方向にその熱意を向ける団体ではなく、人の進化を目指して研究する組織があってもおかしくない。少なくてもアメリカのような国家は研究するに違いない。
しかし、合理的では神秘の領域には辿り着けない。非合理の世界に進化の秘密は隠されているように見える。
人は確かに文明を作ってきた。しかし、その人間的本性はいまだに戦争をしているように、まったく進化はしていない。道具が高度になっただけで、人の本性は何も変わっていない。科学技術の発展とのアンバランス、大いなる矛盾は人間社会に満ちている。
ハリウッドは世界中から資金や人材が集まる場で、そこから啓蒙的な映画も出れば、とてつもなく下品な映画も出てくる。アメリカは世界中から人材も集まり、そのエリートたちで運営されているはずの政府機関も愚かしいまでの戦争を繰り返す。
オウム真理教も、サリンという普通には作れない物質を作り出せるにも関わらず、傘でさして拡散させようとする原始的な手法を取る可笑しさ。頓珍漢なのが人類の特徴ではないかとすら感じさせる。
ルーシーの映画に出てくるのも、知識人とその反対である野蛮人の集団の暴力団。そして、暴力団の薬のおかげで、ルーシーは覚醒する。その薬はどこから来たのか、それは一切明らかにされない。
その薬を作れるだけの設備と人材を持った組織が、暴力団を使って実験しようとしているのかと夢想してしまう。
いずれにしても、すでに多くの体験を経て、すべての欲求を満たした人が最終的に興味を持つものは、神との合一、もしくは自らが神となることではないかと、映画を見ていて感じたのである。
そして、その実験は恐らくどこかですでにされているのだろう。
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