異文化との交渉力「高田屋嘉兵衛」 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)
函館の街を作った高田屋嘉兵衛。函館の街には何度か訪れていたが、全然知らなかった。もっと町を挙げて取り上げるべき人物ではなかろうか。
飢饉対策に、浜辺の石を拾うという仕事を作った嘉兵衛。施しはしないという方針だったからだという。これはいい。ただ上げるのでは、その人の自尊心も傷つくだろう。
お金を渡す際にも工夫が必要なのだ!
囚われの身になっても、公のためにと、まず目の前の人間を大事にして、その積み重ねでロシアとの問題を解決に導いた。大きな志と目の前の問題に取り組むことの大事さを再確認させられた。
ロシア人将校と常に一緒にいることを提案し、それを受けてくれた将校。そこには信頼があったから実現できたことだ。それはそのロシア人将校が、
「自分は戦争で手柄を立てていないから出世が遅い」という悩みに対して、
「自分が出世をしたいなら部下を大事にすることだ」という嘉兵衛の答えに感動したからだという。
このような素晴らしい人格者であった嘉兵衛。
しかし、その後大きくなった高田屋は迫害を受ける。
彼らがそのまま交易をしていれば、ロシアとの紛争は避けられたかもしれないと夢をみる。
どんな国の人間であろうと、同じ人間なのだから、誠意をもってあたれば解決できないことはないと教えてくれる。
いま、日本は周囲の国と軋轢がある。これは私たち自身の内面に、傲慢さがあり誠意を忘れているからではなかろうか。
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