臨死体験は幻視なのか、はたまた脳からの何らかのホルモンによる作用なのか、それはそうかもしれないし、それだけではないかもしれないと思う。表があれば裏があるように、そうした作用があることはあっても、それだけですべては解決しないように感じる。
心安らかに死を迎えるために、立花氏は今回の取材をしたのだろう。死が怖いものではないと感じたと。納棺夫日記の作者がこう書いていた。
「死の真実は死の現場にしかない」と生死の現場から書いたのが「納棺夫日記」であった。そのことをいくら叫んでも伝わらないから、これでもかと繰り返し書いたのが「それからの納棺夫日記」であった。だがしかし、やはり実際臨終に立ち会ったことのない人たちにはわかってもらえなかった。死の間際になったものでないとその心境はわからない。死を恐れるのは死を知らないから。死を看取ることで、自然と死を恐れなくなるのだろう。頭で理解しても限界があると感じる。
NHKスペシャル|臨死体験立花隆 思索ドキュメント死ぬとき心はどうなるのか
: 『私』という存在は死んだらどうなるのか、死ぬとき『私』は何を見るのだろうか――。 20年余り前、臨死体験について徹底的に取材し考察を深めてきたジャーナリスト/評論家立花隆さん。74歳を迎え、がんや心臓の病を抱えて死を間近に感じる今、再び臨死体験の最新研究の現場を見つめ、“死”について思索しようとしている。死の間際に一定の人が見る臨死体験。臨死体験が世界で注目され始めた1980年代以来、その解釈としては、脳内現象として科学で説明できるとする「脳内現象説」と、肉体が死んでも“魂(もしくは自我を感じる「意識」)”が存在し続けるという「魂存在説」―――これら二つの説が互いに相容れない、激しい議論が続いてきた。そうした中、立花さんは新たな臨死体験の掘り起こしをすると同時に、そもそも「意識(魂)」と呼ばれているものの正体とは何なのか、最新の脳科学・心理学・哲学にいたるまで、徹底した取材に基づいて正面から挑もうとしている。科学的に見て、死後の世界があると言える余地はどれくらいあるのか。死後の世界がないとしたら、『私(自分)』という意識(魂)はどう生まれどう消えていくのか。私たちが当たり前と思っている『私』という存在はいったい何なのか。有史以来、人類が答えを追い求め続けてきた生と死にまつわる壮大な謎―――その謎に挑む立花さんの思索の旅を通じて、大震災や紛争などで多くの命が失われる今、命や『私』の存在する意味を考える。
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