ルソーって、すごい変な人で、どう変かというと、J.スタロバンスキーという人が『ルソー 透明と障害』という本を書いているのですが、ルソーは「近代人は表面的な人間関係になっていて、本当の自分からも本当の他者からも疎外されている」と考えるんです。
例えば僕たちは、人と会っていても、本当はすごく嬉しいのに、すましてみたり、ものすごく感動しているのに、なんてことないよっていう顔をしたりします。ルソーはこの表層の世界と内的な奥底の本当の心の間にベールがかぶされているというんです。
近代人は心と心がベール同士で塞がれていて、すべて表層の人間関係になっている。だから、心と心の関係を取り戻さなくてはならない。未開人や子供、あるいは古代人のように、怒りたいときに怒り、笑いたいときに大声で笑い、ベールをはぎ取って、心と心でつながる透明な共同体を作らなくてはいけない、と。
そして、透明な共同体の中で心と心でつなぎあい、みんなで意志を合わせれば、“一般意志”というものが浮かび上がる。つまり、ある特定の民族なりなんなりの中で、皆がある種、承認できるような、みんなの思いがひとつになったような、そういう意志がふっと現れてくると。
この観念がデモクラシーを生んだし、一方ではナチズムに使われました。この人間が心と心で本当につながれるという幻想が、近代人であるが故に生まれてくる。
加藤も同じなんです。心と心で人とつながりたい。現実はどうやっても建前の関係。では、どうやったら人と心と心でつながれるのかというと、外観、建前をなくせばいいと考えたのではないかと思んです。これがネットという問題なんです。脱身体的なメディアの存在です。
自分用メモ。
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