2014年4月30日水曜日

いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1) 電子書籍: 竜田一人: Kindleストア



無名の新人が10万部以上売り上げたというニュースで見た漫画。気になっております。廃炉への道は長くて大変な道のりです。ありきたりな表現しか出来ませんが、日本国民は関心を持ち続ける義務があるテーマです。こうした形であれば興味を持ちやすいですね。



竜田さん応援しております。これからポチリます。



先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) - NHK 敬天愛人

先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)▽西郷流!こじれた人間関係解消法(前編)

を視た。



幕末のカリスマ、西郷隆盛。実は若き日にソリの合わない上司と衝突、島流しの刑に処せられていた。困難な人間関係を解きほぐし、奇跡の復活を遂げた西郷さんの知恵に迫る。


幕末のカリスマにして、明治維新の立て役者、西郷隆盛。器の大きい人間のイメージがある西郷だが、実は若き日にソリが合わない上司と激しく衝突し、
絶海の孤島に島流しの刑に処せられた過去がある。まさに、現代で言うところの左遷。「一生返さない」とまで言われた島流しから、どのようにして奇跡の復活
を遂げたのか? 難しい上司との人間関係のこじれを見事に解消した、若き日の西郷隆盛の知恵を読み解く。

逆境は人を育てるといいます。西郷も島流しにあったからこそ、のちの飛躍の土台を築いたのでした。いま、逆境にある人は西郷さんを模範にして、いま出来ることから始めましょう。番組でも、西郷は牢屋塾を開いたり、島生活の改善案を提案したり、その場で自分が出来ることを実践し、村人たちの信頼を得ます。



やがて、そうした信頼を得た人々が藩主に働きかけて、流罪を解かれたのでした。周囲の人々の力が逆境を動かしてくれるのです。目の前の人々のために何ができるか?逆境の時はついつい自分の不遇を嘆き、自分のことに意識が行きがちです。



そんなときだからこそ、自分のことは忘れて、目の前の人間に尽くす。敬天愛人の精神の実践が飛躍への土台を作ります。バネも、押されてへこめばへこむほど高く伸びあがります。逆境こそ飛躍のチャンスであります。エネルギーをもらえました。





 ■優秀だが嫌われ者の部下 どう采配する? お悩み二郎帳より



手柄を一人のものとして誇る部下。同僚との軋轢があり、彼を外せという部下たちと、彼を使いこなせという上司の板挟みに悩む相談への回答。



人事の要諦は、信賞必罰と透明性というのが作家北康利氏の意見。経営者である田中健一氏は理を説くという意見が出ていました。



過程を透明化し評価をきちんと下せばよいというのは原理原則だが、中間管理職においては現実なかなか出来ないものではないだろうか。評価制度など変えられないですし時間かかりますからね。ただ、過程が透明になればノウハウが残るというのは大事なポイントで賛同できます。



田中氏の「理を説く」という意見は、中間管理職という実情に沿った今すぐできることでした。



「お前はこれからどんどんと上に行ける力のある男だ。上に行く人間は人を使いこなさなくてはいけない。人を味方にしないと大きな仕事は出来ないよ。酒をおごる必要もない、媚を売る必要もない。たった一言、『あの人が助けてくれたから』というだけでいいんだよ。こんな簡単なことで、敵になるか味方になるか変わるんだぞ」と。



最後に井森美幸さんが、

「ありがとうと言われて悪い気がする人はいない。その言葉だけでまた頑張ろうと思える」と感謝の効用を話されていましたね。



最後は感謝だと私も思います。読んでくださりありがとうございます。




2014年4月29日火曜日

NHKスペシャル「調査報告 女性達の貧困~”新たな連鎖”の衝撃~」

NHKで「女性たちの貧困」について視ました。その後、ネット上での意見も読み、衝撃的だった方が多い一方で、番組に対する不満もありました。印象に残ったのは二つあり、最後に紹介します。

日本人的心情で、自分で何とかしなければならないという自己責任論は私たちの中に根強くあるように感じます。見えない絆や心によって解決できないかと情緒に訴えるのが好きな気質だと思います。しかしながら、その気質が竹やり根性論を生んでしまうこともまた事実なのです。

しかし、論理だけでは納得できないと感じてしまうことでしょう。問題を解決できないのは、問題がわかっていないからだという諺もあります。貧困は社会の構造的な問題ゆえに、 個人の努力や根性で解決できるレベルではありません。本当の問題は何でしょうか?

日本は戦略的な思考が苦手なようであります。声の大きいものに引きずられて、うやむやにどさくさに、対処療法的に物事が進んでいきます。今の自己責任論は、今後ますます、二極化を生み、貧富の差をより拡大していき、分裂状態になることでしょう。

日本全体を変えようとするのは大変です。まして、日々自分の生活で精一杯なのが私たちであります。どうしたらよいか?問題意識を持ち、下記のようなブログなどに触れ自分なりに勉強し続け、論理と情緒のバランスを探ることが理想と感じています。

しかしながら、それは難しいのも感じています。結局、縁がある人々に対して何ができるかをするしかないと思っています。


■NHKはなぜ生活保護のことを伝えないのか~NHKスペシャル「女性たちの貧困」を視て

 母子家庭であれば、児童扶養手当や児童手当の支給も受けているかもしれない。
しかし、たいていの家庭が、生活保護を利用できる所得以下であるように思える。

NHKは、なぜそういうことを伝えないのだろうか。
どういう事情で生活保護を利用していないのかはわからない。
しかし、もし、最低生活費以下で生活しているのなら、本来は生活保護を利用できるはずだ、生活保護の利用に至ることなく貧困に陥っていると、少なくとも、そこまで放送しなければならないんじゃないのか。

しかし、そういうことは一切触れられなかった。
この番組では、行政の責任についての視点がが完全に抜け落ちている。

■ネットカフェで2年半暮らす母親姉妹にチャンスと詰寄るNHKスペシャル女性たちの貧困のパラドクス

実は日本は、「本当に困っている人」だけを助けるための福祉に対して、国民の抵抗や運動が起きなかった国なのです。明治からずっと、そういうものでいいと 思ってきた歴史があります。それがなぜいけないかというと、「本当に困っている人」だけが助けられるということは、そういう人たちは「国家公認の貧困者」 になるということを意味します。そうすると、普通に生活して自分の尊厳を守りたいと思っている人は、「国家公認の貧困者」というレッテルを貼られるのだけ は嫌だということになる。それだけは避けたいと思うようになるのですね。そうすると、「本当に困っている人」を助けるための福祉は、「本当に困っている 人」が受けられなくなってしまうということです。
これを「福祉のパラドクス」と呼んでいます

2014年4月28日月曜日

目的志向からの解放

私たちは、目的を持つのが正しくて、当たり前のことのように感じています。はたしてそれは本当でしょうか?知らず知らずのうちに、今の考えは過去もそうであったと思い込んではいないでしょうか?それと同時に、過去より今の方が優れていて、進化していると、ダーウィニズムの影響を受けてはいないでしょうか?

科学の進歩がイコールで人間の進化ではありません。人間性で見れば、過去の歴史の中にいくらでも優れた人間を見ることができます。直線的な時間軸ではなく、螺旋的な時間軸の世界で世界を見たらどう見えるでしょうか?

 目的はあっても、結果に執着しては物事を一部分でしか見られなくなります。最初のもくろみ通りでなかったとしても、それが今の自分にとって最善だと思うことが大事ではないでしょうか。

却って、思い通りではない、失敗したという事柄の方が学べることが大きいでしょう。自分なりに努力をしているならば、それは正解だと思います。
かならず目的を作らなくてもいいですし、目的を作ってもいい。今の自分を精いっぱい生きて、今を生きることこそ、幸せへの第一歩だと思うのです。


2014年4月27日日曜日

チグリスとユーフラテス


「何もやるべきことがない。前に進むことがない。責任を持つことがない。これはとても楽な生き方だけれど、同時に、とても虚しい生き方だ。」

人生かけて燃えるものに出会えず、悶々としている人におススメする。比較する必要はない。自分自身の人生だと頭ではわかっていても、どうしても現状と理想のギャップに打ちのめされてしまうものではないだろうか。

人生とは一体何なのだ?と追及したことのある人なら、得られる所があるに違いない本である。

しかし、キャプテン龍一は女性を見る目があったのだな。灯のような女性と結婚したいものだ。それにはきっと、龍一のようなヒーローじゃないと釣り合わないんだろうな。

私はどうも強い女性に弱い。自分が弱いからだろうか。それとも、守られる存在ではなく、同志のような、自分と同じように強く人生に立ち向かって欲しいからだろうか。

どんな環境でも前向きに強く生きる。私は人生讃歌が好きなのだ。

どうせだったら、楽しいと思える人生に越したことはないよね!

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆ならおどらな損損 である。

さぁ本書を手に取り、冒険の旅に出かけよう!


2014年4月26日土曜日

ストーカー対策援護会が必要だ

ストーカーに悩む女子から相談を受けた。そのために引っ越しも余儀なくされたとのこと。すごいいい人だったのに、急に変わってきたと。詳しい事情は人それぞれだけど、大きな枠組みで見れば同じような悩みで苦しんでいる人は増えている。

ストーカーは、勿論する方が問題なのはわかりきっている。しかしそういう相手にまともに対応しても解決は難しい。さまざまなケースがあるだろうから、一概には言えないが、当事者だけで解決するのは難しいことには同意してもらえるのではないか。

だからといって、誰かに頼むのも難しいし、警察も当てにはならない。逃げるように、なんとかなだめすかしたりして、過激な行動に出られないようにするのが関の山ではないか。

人との関係性がいびつな現代病の一つだと言える。

視点を変えて、ストーカーされた方も、どうして自分がそういう目にあうかわからず苦しんでいる。
 自分のせいなのかと自分を責めることもあるだろう。本人が反省する分には構わないが、
「相手が変わったのは、そうさせてしまう要素が本人にあるからだ」と第三者がいうと、多くの人は非難するだろう。ケースバイケースだが、そういう場合もあるかもしれない。

ストーカーはなぜ執着するか?簡単にいえば、寂しいからである。愛憎は表裏一体。どんな形であれ相手して欲しいのだ。自分でも自分を押さえられなくなって暴走し、結果誰も幸福にならない。

接点がない一方的なストーカーはともかく、知人友人から変質するパターンでは、最初は善意から始まるものだ。いつかどこかで甘えや衝動に捉われていく。地獄への道は善意で舗装されている。

自分を責めたところで簡単には解決しない。同じような被害に合った人たちで助け合う組織を作っていきたいとおもっている。結局は当事者の気持ちは体験者にしかわからない。

当事者ではない第三者が関わることでしか、問題の解決は図れないだろう。本人だけで解決しようとすることは絶対にやめた方がいい。



2014年4月25日金曜日

終わり良ければすべて良し

何事も途中で判断できない。簡単に見切りをつけるのは愚か者がすることだ。仕事でも人間関係でも、人生でも、判断してしまえばそこが終わりとなる。

諦めなければまだ道は続くのである。どんなに終わりに見えようと、命ある限りチャンスはある。もしくは命が途切れても残るものもある。芸術家の評価など良い例だ。生前に評価されない例は山ほどある。

人も状況も常に変わる。たとえ3日でも別人と思えである。今回が駄目でも、自分に見切りをつけるのはもったいない。一生懸命であれば結果に拘泥して、必要以上に失うものを増やす必要はない。結果が出なくても、体験という結果を得られたのだ。

もちろん、反省をするなというのではない。反省は真摯な人間であれば勝手にしてしまうものだ。見切りを安易にしてしまい、次の機会にリベンジする気概を失うのは惜しい。諦めなければいつかは何らかの機会がある。それは狙い通りではないかもしれないが、だからこそ結果に固執しないことだ。

どんな経緯も終わり良ければ良い思い出になる。逆にいえば、良い思い出になるまで諦めないことだ。すべてドラマを盛り上げるための試練だったと思えたら最高に幸せだ。

自分や相手のためにも、性急な判断はしない方がよい。じっくりと自分も他人も見極めようではないか。そのための時間は十分にある。焦らず地道に取り組もう。