会議室の一室。時計の秒針の音が時を刻んでいる。
漠然とした想いだけが胸にあり、届けたくても誰に届けたいのかもわからない。
「悶々とした気持ち」と紋切り型の表現で言えば簡単だが、それもどこか違うような気がしてならない。
世界はお金で満ちている。お金が嫌いなわけではない。お金を抜きに社会は成り立たない。行動原理の奥底から、お金は影響し、無意識に心を縛っている。
じゃあ開放されたとしたら、俺は何を望むのか。実際に、お金の心配をしなくてもよい時もあった。そんなときも、だらだらと時間をすごすことにお金を使い、真剣に人生と向き合おうとはしなかった。マッサージや旅行、飲み屋に風俗。不満はないが満足もないという結論になる。
いざ、お金がなくなってみると、驚くほど心細くなる。これほどまでに心が影響されるものかと、我ながら意志の弱さに情けなくなる。困っていないときは威勢が良くても、無くなった途端に軟弱になるとは情けない。
そのくせ、自分自身に言い訳をして、
「人生の学びに違いない」などと、誤魔化し逃げ続ける。自分の心とも向き合えない。私だけではない。恐らく、ほとんどの人間は毎日のことに追われて、特に深く人生を考えることもないのだろう。それでいいのか・・・・と自問自答をどこかでしながら。
私はいつも青春に憧れる。憧れるということは、体験していないと認めている。冷静に考えたら、青春らしきものはあった。なのになぜ未体験のような感覚を覚えるのか。
燃えたいのだ。真剣に燃えて燃え尽きて死にたいのだ。情熱の向け先がわからない、20代のころの気持ちをそのまま引きづり今に至る。もう不惑の年なのに。
大人になれない子供のままの、いわゆる厨二病か。
そうともいえるし、そうでもないといえる。形になれば官軍となる。
詐欺師と起業家は紙一重とも言う。
そんなことはどうでもいい。目の前の一歩を歩くのだ。さあともに歩こう。
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