清朝最後の皇帝であり、満州国皇帝であった、
愛新覚羅溥儀。
「兄の人生は激変過ぎた」と弟の溥傑は語ったという。
3度の皇帝就任と退位。皇帝から平民、収監へと地位の変転。 自殺してもおかしくない境遇の中、最後まで生きた彼に哀悼の意を表する。
溥儀の周囲には、彼を利用する人間ばかりであったろう。皇帝になればへつらい、元皇帝になれば手のひらを返すのが世の常である。そのような中で、溥儀が信用し、その忠義を称えて、忠という名前を与えられた日本人がいた。
その人の名は、工藤忠。大陸浪人の出世頭と言われたが、だからこそ軍部の考えに染まらずに、溥儀の心を理解できたのだろう。日本人で唯一、溥儀のことを「皇上陛下」と呼んだ。異国人同士であろうと信頼を生むものは至誠である。
溥儀が清朝皇帝を退位する原因となった、辛亥革命を起こした孫文を支援したのも、日本の民間人であった。孫文の革命支援のために、命までかけた山田良政。
彼もまた至誠の人であった。孫文を支援すると約束した日本政府が約束を翻した時、顔向けできぬと前線へと赴き戦死した。
大きな力によって、運命が引き裂かれようとするとき、個の至誠を貫くのは並大抵のことではない。
我々は歴史に学ぶべきである。利益を求めた謀略は、結局は不利益しか産んでいない。個々人の至誠を助けることで、将来にわたる絆ができるのだ。
目の前の利益を取らず、信を取ることこそ、大和魂であろう。
彼らのような日本人がいたことを、もっと私たちは知らなくてはならない。
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